来週はもう「お彼岸」ぞな、もし(ニャンコ先生か)
大相撲三月場所が始まった。父ちゃんは照ノ富士が好きで、その横綱土俵入りが見られることがとても嬉しいのです。
太刀持ち:熱海富士、露払い:翠富士というのも好ましい。どっしりした無口な横綱が、実力者ながらオッチョコチョイ感のある若者二人を従えて邪気をはらう神事を行う…いいねぇ、この感じ。日本一!
宮城野部屋の暴力事件は暗い出来事だったが、中入り前にNHKがキチンと報じたのは良かったと思う。
大阪場所の溜席に、夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる「清(きよ)」(主人公を溺愛する武家出身の老女中)を想起させる明治人風の方(…父ちゃんが勝手にイメージしてるんだけどネ)がおられて、不思議な気持になる。だって「坊ちゃん」の最後の二段落を読む度、何とも言えない心持ちになるんだもん。
教師として赴任した松山で「おれ」は、赤シャツ一派をやっつける大暴れののち東京に戻り…
清のことを話すのを忘れていた。おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが、気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
ぶっきらぼうな愛惜の心に、いつも涙が出てしまうんだけどね…。この小説を改めて通して読むと、主人公の「おれ」には一見、松山の「鄙」への蔑みがあって傲慢ですらある。松山にも歴史を経た秩序の正義があるんだけどね。それは、或いは時とともに消えゆく江戸文化への哀惜への反動を、漱石が意識してあらわしたのだろうか。
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春の散歩。
丘の上の、生垣と大きな庭木の集落を目指して急坂を登る。
そこは、暖かな日差しと整然として清潔な空気。
よいね。こういう街の雰囲気は。
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会社勤めをしている間に、好きな映画の円盤を入手していこうと決めた。
ハーヴェイ・カイテル主演「SMOKE」(1995年)
ポール・オースターの短編「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」をベースに、オースター自身が脚本を書いて膨らませた日米独合作の映画。ウェイン・ワン監督。
カイテル演じるニューヨークの煙草屋:オーギーは、毎日々々10年以上、店先の通りの風景を定点撮影している。近所に住む作家ポール・ベンジャミンとの友人関係を軸にして、古典落語の人情噺みたいなストーリーが展開する。最後はオーギーが愛機:Canon AE-1をクリスマスに手に入れた経緯をポールに語って終わる…。
原作の短編小説の古本も買った。安くなかったけど、図書館に蔵書が無いのでね。
凝った版画の挿絵が入っている。
短い話。日本人には大晦日の物語が、欧米人にはクリスマスの物語が、沁みるのかな。