
今年の夏(もう「夏」と云ってもいいと思う)は、3~4個体のシュレーゲルさんが我家に来てくれてるみたいで( *´艸`)…

6月30日(月)夕刻、庭のアジサイの葉に小さいほうのシュレーゲルが居て…(ピンボケ)

ヘンな顔になって…

「プはっ」て口開ける、これを何度か繰り返した。こういう動作(げっぷ?)をする時は、食事直後のことが多い…というのが、ワシなりのシュレーゲル観察で得た知識なのだった。いや、シュレーゲルはいつ見ても可愛い(#^.^#)カワイイ♡
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さて。7月から出勤日数を短くしてもらいましてね。週3日になった。給料は下がるが、自由時間が更に増える。

平日も、朝早く散歩したりする。

昨日は、傷んでた和室の網戸の張替えをした。めんどくさかったけど、出来上がると達成感が清々しかった(#^.^#)

風のとおる和室でウトウトするのは気持ちいいことだからネ…

ブロ友さんお勧め「隠蔽捜査シリーズ」、ひとまず出版済の全巻を楽しく読み終えて…

丁度いいタイミングで予約していた「南光」を借りられた。

日本統治時代から戦後にかけての台湾人の写真家「鄧南光」を描いた小説。まだ80頁くらいまでしか読んでいないが、快感の文章が次々に出てくる。
例えば冒頭「序」の中の一文
きみはシャッターを押す時の軽やかな響きが好きだ。カシャッという音ひとつで、この世界のある瞬間、ある光と影の動きをカメラで切り落とし、魔法に満ちた小さな暗室でネガフィルムに封じ込める。
一眼レフレックスカメラのような重たいシャッター音とは、響きがまったく違う。きみの使い慣れたライカは、優雅で美しいシャッター音をたてる。
一眼レフは、よくできた偉大な発明だ。やがてはレンジファインダーカメラに代わって主流となるだろう。レンズとフィルムの間に設置されたミラーに光が反射し、何度か屈折してファインダーに届く。それで撮影者はレンズがとらえた景色を目にすることができる。つまり見たものをそのまま撮ることができるという、賢い設計になっている。
しかしこのミラーがあるがゆえに、光をフィルムに届けるには、シャッター幕を開けると同時にミラーも跳ね上げなくてはならない。フィルムを感光させるため、広い光の通り道を作ってやる必要があるからだ。
一眼レフのシャッターを押すと、シャッター幕の音だけではなく、ミラーの音 -あの忌々しいミラーが上がって下がり、カメラ内部でひと暴れしたかのようなひどい騒音ー も耳に届く。まるで思春期の少年少女のようなやかましさだ。
それにもし一眼レフを使うなら、きみはシャッターが切られる瞬間を永遠に目にすることができない。その瞬間、ミラーが上がってファインダーは真っ暗になってしまう。たとえシャッター速度がわずか千分の一秒だったとしても、きみは自分が捉えた世界を見逃すことが運命づけられ、その重要な現場に立ち会えない。
ワシは、機械の操作が苦手で使ってるカメラの使いこなしも全くできないが、「一眼レフが最高」と思っていた。だけどこの文章を読んで、その考えは快く複雑に変化した。
次は丁度イマ読んでいるあたり。幼い長男を背負い故郷の子守歌を歌う妻を撮影する場面の文。
鄧騰キ(キは火偏に軍)がカメラを構えると、妻が振りむいて笑った。おぶわれた赤ん坊はぼんやりと父を見つめている。”お月さまキラキラ、娘は茶を沸かす” 妻のその歌声も一緒に写真に刻み込まれた。写真は声まで撮れることを、彼は初めて知った。時が経ってからも、写真を手に取れば、あの歌声と笑い声が耳によみがえった。
なんかね。読んでてジンっ…とくる。
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7月4日(金)

朝散歩後、朝食は抜き。だって9時30分からエコー検査を受けるのだもの。潰瘍性大腸炎の定期的な通院。今回は2か月ぶりだった。

医師「その後、症状は出ていないようですね」
ワシ「はい」
医師「今日から薬(ペンタサ錠)を減らしましょう。1日2回(朝夕食後)にして様子をみましょう。エコー検査では(前回見られた)腸のむくみは無くなっています。そのほかの臓器にも異常は見当たりません。ただ腸内部の潰瘍の有無を確認するため、8月にもう一度内視鏡検査をしましょう」
ワシ「…(ヤダナぁ)」
医師「今度はS状結腸あたりまでの短い範囲ですから、下剤は飲まなくていいですよ。浣腸して綺麗にして検査します。えーっと、8月29日金曜日午後でどうですか?」
ワシ「はい」
というわけで、大腸炎はその後症状が出ることなく「いい塩梅」なのでした。以上。

追伸・・・診察の後、自宅で素麺と天ぷらと唐揚げの昼飯を食いました