晩秋…
満14歳だった1975年の夏、実家の増築があった。この時、父親は自分の趣味と仕事の場であるオーディオルームを新設して、それまでの12畳の離れから引っ越し、ワシの方は初めての個人部屋を手に入れた。部屋は7畳半相当の板の間だった。記憶が正しいか一寸不安だけど、この時の最初のステレオセットのことを書こうと思います。
父親はオーディオ製品の販売と製作をしていて、特にスピーカーは英国リチャードアレンのユニットを推奨してたこともあり、最初のスピーカーは父親設計のエンクロージャにNew Golden eight(金八) 2発入りのフロア型だった。
最初のアンプはパイオニアのレシーバーだったんだけど、少したって管球式のセパレートに替えてもらうことができた。プリアンプはクリスキットの製品。外観は覚えているが型式が分からなくて、「オーディオの足跡」で調べたらあった。
これこれ。Chriskit Mark VI Custom(^^♪
推測するに、父はある時期までクリスキット製作で自作の腕をあげようとしていたのだと思う。このアンプは良い音がした。当時、評判の良かったマッキントッシュのアンプ(C22だったと思う)を繋いで聞き比べたら、中学生の駄耳ながらクリスキットの方がずっと「イキイキ」とした音で音楽を奏でていたと記憶してるモン(; ・`д・´)
パワーアンプは、ラックスキットだったと記憶。真空管が何だったかわからない。知識がなかったし。
外観はたしかこんな感じ。これも「足跡」から。LUXKIT KMQ60の写真。パワーアンプは、その後しばらくして2A3シングルに変わった。父親の自作だったと思う。2A3は真空管の表面に青い光が浮かんで可愛らしく綺麗だった。
プレーヤはパイオニアのPL-1250にシュアーM-44Gを装着。M-44Gは安価ながら骨太のキモチ良い鳴りっぷりのMM型カートリッジだった。
当時聴いてた(最新の)音楽…井上陽水、小椋佳、かぐや姫などのいわゆる和製フォークがメインでね。レコードは今でも持っている。
井上陽水「招待状のないショー」(1976年)
小室等、吉田拓郎、泉谷しげると設立したForLifeレコードでのファーストアルバム。歌唱が、ポリドール時代と違って最初は違和感があった。陽水の代表曲「結詞」が入ってる。「Summer」もいい。
小椋佳「夢追い人」(1975年)
アメリカ西海岸録音。米国の腕利きスタジオミュージシャン多数がバックを務めた異色作。ジョー・サンプルも入ってる。これも最初は違和感あったけど名曲多い。「そこにいる君でなくて」「思い込み」
風「ファーストアルバム」(1975年)
「海岸通り」「桜の道」など正やんの曲と声が瑞々しい。歌詞が…今ではちょっとコッパズかしかったりするが。
南こうせつ「かえり道」(1976年)
生々しくて暖かい録音。一曲目の「旅するあなた」の歌唱は心に沁みいる。「花いちもんめ」も好き。
…あれから39年。
今日11月20日、年に一度の生活習慣病予防検診を受けてきた。ワシは、毎年コレステロール値以外は殆ど「A」判定なんだけどね。今年の聴力検査で「あ。高音が聞こえてないみたいですね」と言われてショックを受けたのです。
帰宅して遅めの朝食の後、年金事務所に「老齢年金申請書」の提出にでかけた。忘れ物はないハズだったのだが…。年金振込口座番号確認書類のコピー(通帳)を忘れた。
「あの頃」から約40年、若いまんまのつもりでいたが衰えているのか?(イルノダ!)
***
昨日11月19日(火)朝、通勤途中のラジオで谷川俊太郎の訃報を聞いた。
鳥肌が立つほどの共感を紡いでくれた数々の言葉…。
小室等「いま生きているということ」(1976年)
生きているということ いま生きているということ
それは のどがかわくということ
木もれ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと 手をつなぐこと
ご冥福を祈ります。