今日も、あっつかったですね~(+o+)
午後から、自転車散歩に出かけましたよ。
父ちゃんもソロソロ「若くない」ですからね。炎天下、水分補給には気をつけました。
向日葵の畑。タネを採ることが目的なのでしょうか。
小ぶりの花が、たくさんたくさん、咲いておりました。
以前、どい とボール遊びをした空地には、ソーラーパネルが設置されてました。
こいつぁ、ちょっぴり、寂しかったなぁ。
(2011年冬に、同じ空き地で撮った写真デス)
丘の上の畑では、スプリンクラーが霧のような水を撒いておりました。
この「噴水」の中に、素っ裸で飛び込みたい衝動…(タイホされますワね)(^^ゞ
帰宅後、お風呂で汗を流したら、冷たい麦酒ですぜ。
ぐは…っ
ビールは旨し。夏の休日は良いですね。
季節は、あっという間に過ぎゆきますけれどもね…。
さて、ゴジラ映画の「後編」デス。
すみません。これで最後に致します。
・「子供だまし」のB級映画に堕したまま休眠していた「ゴジラ」を、できる限りシリアスに作ったのだと思います。
・東京湾に上陸するときの、戦車団を一瞬にして破壊する姿はカッコよかった。
・生真面目さはあったけど「感覚は錆びついていた…」と言ったら、酷すぎますでしょうか…。
・父親になった父ちゃんが、息子たちを連れて劇場に観に行った作品。以降、95年まで家族を連れていきました。
・これは昔の「対モスラ」のリメイクですね。オリジナルストーリーの骨子がそれなりに堅牢なためか、観るに耐える作品でした。
・今思えば、「父ちゃんはゴジラが大スキだったのだよ…」と、無意識に、息子たちにも伝えたかったんだと思います。
しかし…。
息子たちを連れて観た以上の3作品は、論評の価値なし。…つまり「0点」です。
アイデアも何もかもが、事実上は枯渇した、誇りもない作品…としか感じられません。
「年に1回作りさえすれば、どうせ阿呆なゴジラ好きが見に来るさ。元々大きな収入にはならんし、テキトーでいいさ」
いう作り手の不潔な感覚が透けているような気さえ、致します。
父ちゃんは、まさにアホなゴジラ好き。それを自分の息子に押し付けようとした「愚かな大人(父親)」だったのです。
父ちゃんの中では「ああ、これでゴジラも終わりだなぁ」と、哀しくも、
「この腐れ縁が切れる」と、どこかでは「ホッ」としたのでした。
以後、再びの休眠期に入ったのち、数作品が製作されましたが、
ハリウッド版『ゴジラ(旧作)』を除いて、父ちゃんは劇場には出かけずに現在に至ったのでした。
さて…、前の記事に書いたみうらじゅんさんのコメント(父ちゃんの解釈による要約)は、
父ちゃんの、「表現できないもやもやした気持」を、
とても正確に大便「代弁」してくれたと感じ、TVの前で、じーんとしたのでした。
また、KTさんからいただいた辛口のコメントも、表現しにくかった記憶を呼び返してくれました。
…以上、だらだら・長々と書きました。
1954年の第1作『ゴジラ』は、その「時代」と作り手と観客によって、特別特異な「名作」となりました。
映画の作り手と観客の私たちは、それに敬意を表しつつ、映画を作る・観るしかない…と、父ちゃんは感じています。
最後の最後に、補記します。
先日観たハリウッド版『ゴジラ』(2014年版)は、
冒頭の水爆実験シーンを外して、(映画の中の設定の)15年前の原発事故から開始すれば、
8月4日追記;
「2014年ハリウッド版:ゴジラ」は、しかし、よくできています。これは確かです。
以上、なんだか、わかりにくいですよね。すみません。