どいの父ちゃんのブログ

素人オーディオと 亡き犬と サラリーマン残り火生活

伊予の旅(6)3月23日 最終日

旅の4日目(最終日)は雨になった。↑は夜明け前の外の景色。

天気がよければ行きたい場所はあったが…、ホテルチェックアウト後、アーケード屋根下を散歩した。

ちょっと寂しい景色も、またオツ。

フリーマーケットの日?午前10時ごろから沢山のお店が開いて賑わった。ポストカードを買いました。

そろそろ空港に向かう。三越前の停留所から出るいよてつバスの到着を待つ。

すいてた。整理券をとって、運賃630円/人を用意。

小雨が続く。愛媛はよいところだった。名残惜しい。

この古い型の路面電車にも乗っておきたかったなぁ。

空港着。ここは展望デッキ。

愛媛最後の食事は空港レストランで宇和島風鯛めし。ごはんのおひつはお代わり自由。

それと郷土料理の「ふくめん」。醤油で煮た糸こんにゃくの上に、魚すり身のでんぶが載せてある。これをよくかき混ぜて…

食す。お祝いの席で出す料理らしい。甘くて、ひなあられ的な祝祭の雰囲気のある食べ物でした…。あと、瓶ビール中瓶も1本飲んだ。

飛行機搭乗までの時間を過ごしたのは、和カフェ「NOBOSAN」

父ちゃんはまたしてもビール。母ちゃんは抹茶クリームあんみつを食べた。正岡子規だけじゃなく、伊丹十三松山ゆかりの偉人だよね。高校時代から尊敬してた。

ドナルド・キーン氏のこの本、日本語版もあるかな?あるよね、きっと。

ビールのコースター(紙製)、持ち帰った。

大相撲三月場所14日目見ながら、案内を待ち

乗りこんだ。帰りも曇ってて、富士山は見えませんでした…残念。天候のせいで出発が少し遅れたけど、無事に成田に戻ってきましたよ。

あ。松山市大街道アーケードのフリマで買ったポストカードは、こういうのです。

***

次はどこに行こうかなぁ。

伊予の旅(5)3月22日 大洲の町と伊予灘線

大洲散歩、続く

坂を下りたら空腹ハラペコ。昼食は「油屋」に行くと(未予約ながら)決めていた。

昭和の繁栄を偲ばせる商店街を通りぬけ、突き当たりを肘川堤防方向に左折すると、

右側に煉瓦造りの建物があり、その向かいが「油屋」だ。

この土蔵が店舗になっていた。真新しいアスファルト舗装の駐車場に、かつて旅館時代の母屋があって、今は取り壊されたのか?…と推測された。そうだとしたら残念な気がした。(司馬さんが驚喜した建物を見たかったから…)

11:30の開店時間を待って入店、炉端焼のカウンター席に通された。

少し遅れて、大きな声の添乗員に率いられた韓国語を話す一団(総勢13名)が入ってきて、中庭沿いの3つのテーブル席に座った。

正直に書くと父ちゃんは、彼らが食事の間中、大きな声をあげるのではないか…と危惧したが、静かに会食してくれてホッとした。(偏見でしょうか)

まずはビール中ジョッキ。喉が渇いていた。「悪魔的」旨さだった。

母ちゃんが頼んだ1日10食限定の「油屋弁当」のメインは豚肉生姜焼き

父ちゃんは「名代とんくりまぶし」

おひつ飯の上に、栗と豚肉甘辛煮がのる。このままよそって食べるのと、出汁をかけてお茶漬けにするのと…の二種類の食べ方。

弁当もとんくりも、どちらも甘い味付けだった。「甘くてやさしいのが松山の味じゃけん」(…ここは大洲市だけど…ね。)テーブル席の方々のメニューも、この「とんくりまぶし」みたいだったが…。甘い味が口にあったかどうか、ちょいと心配になった。

油屋を出て、美しく整備された川沿いの道を通って…

臥龍山荘」を訪ねた。ここは大洲藩歴代藩主の別荘だったそう。風流で浮世ばなれ(生活感無し…の意)してた。

肱川に面した高台の「不老庵」からの眺め。面白かった。

水の色、まさに「碧潭」。

臥龍山荘を出ると、石畳に緑陰。いいね。

大洲神社をお参りして…再び、町へ。

昔、母親が観てたNHK朝の連ドラ「おはなはん」のロケ場所「おはなはん通り」

休憩所に「おはなはん」の写真。樫山文江と高橋幸治…こんな感じだったなぁ。父ちゃんは6歳だったが、かすかに記憶がある。

町の医療地区だった…と思われる一角。産婦人科の建物を改装した観光案内所。大洲の町を歩いて、昔の小さいながらも高い格調の豊かな文化的生活を感じた。

…そろそろ帰ろう。(瀬戸内海に夕日が沈む頃合いを予定してたが一本早める)

商店街に美味しそうな和菓子「志ぐれ」の店があったので、小さいのを一つ買って駅に戻った。

3番線に停車してた車両内部。ガラスが曇っててソフト・フォーカスになった。

復路は瀬戸内海沿いを走る「伊予灘線」に乗る。列車を待つ間、ベンチで「志ぐれ」を食べた。

甘さ控えめの美味しいウイロウだった。

やがて到着した一両編成車両に、けっこう沢山の人と一緒に乗った。東アジア某国の方も多かった。この路線は海の間際にホームがある(ように見えるフォトジェニックな)下灘駅を通過するので、鉄趣味の人や観光客が多いのだった。

灘駅の手前「串」駅を出たところから、スマホで動画を撮った。

伊予灘線 串-下灘駅間 - YouTube

灘駅に到着すると、100名超の観光客がカメラやスマホを構えて待っていた。上のサイトの写真のような状況ではなかった…。予定どおりの日没タイムにここを通ったら、それこそ大変な混雑ぶりだったのではないか…。この時間帯で良かったと思った。

明るいうちに松山に帰ってきた。ホテルまで、歩いて帰ろう。

途中にあった中古レコードCD店。面白そうなレコードが多数あったけど、持ち帰りしにくいので買わなかった。

古い県庁の建物に西日が差していた。

***

この日はデパ地下で惣菜を買い、コンビニでビールとワインを買って部屋飲みした。あ。あと、カメラのバッテリーも交換しましたよ(;^ω^)

明日は伊予の旅の最終日。おやすみなさい。

続く。

 

伊予の旅(4)3月22日 JR内子線と大洲城

ところで…

今回、行先は母ちゃんの希望で決めたんだけどね…。松山ならばと…父ちゃんも行きたい場所があった。(たくさんあるけど『ここだけは』っていう場所)

それは松山からJRで1時間程の「大洲市」。司馬遼太郎のライフワークだった「街道をゆく」の第14巻は「南伊予・西土佐の道」で、この巻が週刊朝日に掲載されたのは1978年の9月から12月にかけてのことなのだが…。

街道をゆく」はどの巻も味わい深いけれども、四国、とくに伊予国愛媛県)は司馬さんの「愛情」が格別に深い土地のように、父ちゃんには感じられる。この巻の冒頭は、正岡子規の舎弟ともいえる高浜虚子の「子規居士と余」という本の引用で始まるのだが、司馬さんの心からの愛が伝わってくるのです。…長くなるが、もう少し。

今から45年前の松山空港に降り立った一行が、タクシーを駆って内陸の砥部から大洲に入る際、司馬は、同行する画家の須田剋太に大洲の美しさを伝え、誇ろうとするが…。以下、「街道をゆく」14巻の56頁以降引用

 大洲の町は、肱川(ひじがわ)の白っぽい河原に発達した。

 まわりが山で、河原にも島のように小山を残し、かつては赤松の濃いみどりが川の瀬々に滴るようであったらしい。川はこのあたりになって大きな淵をつくり、その美しさは碧潭(へきたん)としか言いようがなく、その松と碧潭のなかに童話の中のお城のような大洲城の櫓の白壁が映えていた。

 私が昭和三十年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき、水と山と城が造りあげた景観の美しさに息を忘れる思いがした。

『愛媛面影』に、

 比志川(註・肱川)の流れを引きて、城郭の遠望、殊にめでたし。

とあるが、私も日本の旧城下町でこれほど美しい一角を持った土地はないと思ったりした。

「大洲はいいですよ」

と、道中、須田画伯に宣伝したりしたが、こんどの旅で私自身の楽しみにもなっていた。大洲はかつて三度通過したが、一度も泊まったことがなく、あの刺繡画のような景色を時間をかけてながめてみたかったのである。

 かつて大洲藩支藩の陣屋のあった新谷をへて大洲に近づいた。まだ午後七時前で、暮れるには間があった。町へは北からはいった。

 肱川の大橋を渡るときに、須田画伯に、

「右手を」

 川下をご覧あれ、といってみたのだが、言いつつ元気が失せた。碧い淵と磧(かわら)に面していた白壁の可愛い櫓の横に、およそまわりの自然とは不調和なコンクリートの会館のような建物ができていたのである。

「あのコンクリートの建物ですか」

 右を向いた画伯が、すぐ興をうしなったように首を前に戻した。そのうち車が橋をわたりきってしまった。

「以前、あのコンクリートの新建造物がなかったんです」

弁解すると、画伯はなぐさめるように、

「どこでもそうです。日本中、気が狂っているんです」

といった。

 あとで、宿についてからきいてみると、その新建造物は二軒あって、一軒は昭和四十三年にできた市立市民会館であり、一軒は同四十九年完成の市立中央公民館であるという。

以下、日本の多くの地域の歴史や自然美を蹂躙する行政を攻撃し、かつ嘆く文章が続く。この後、司馬遼太郎は、担当者が予約していた宿(油屋)が江戸・明治時代のままの佇まいであることを喜び、大洲市行政を強い言葉で貶したことを埋めあわせるかのように、この宿屋を無邪気な程に褒め称えるのだった。

…そういう訳で、肱川沿いの大洲城と街並み、そして今は宿屋を廃業して食堂になっている「油屋」を、この目で見てみたかったのです。

たいへん前置が長くなったけど、伊予の旅の第3日目のこと…。

***

3月22日(金)は晴れた。

朝はホテル食堂の窓際席で鯛めしを食べた。

「大街道」駅プラットホームから路面電車。JR松山駅に着いた。

駅前にある句碑「春や昔 十五万石の 城下かな  子規」…

駅前タクシー乗場に、ひともとのソメイヨシノ(と思う)。ここだけが咲いていた。

構内の駅そば。うーん。ここでも食べたかったなぁ(^^;)

Suicaが使えないので券売機で切符を購入。往路は内陸の内子経由で伊予大洲を目指す。

みどりの窓口がイイ感じだった。

改札を抜けると、一番線から観光列車「伊予灘ものがたり」が出発するところだった。

ワシらは跨線橋を渡って、普通の一両編成ワンマン車両で行くのぢゃ(^^)/ソノホウガ イイモンネ

運転席。丸眼鏡の若い運転手さんがしっかり指差呼称しながら運転してた。乗客は常に十数名いた。運転席以外の窓ガラスは汚れてて、景色がクリアに見えなかった。

松山の隣駅「市坪」のホームから見えたのは「坊ちゃんスタジアム」かな?

「呑み鉄」もしたいので…。ペットボトルに赤ワインを仕込んできたのだった(^0^)

向井原駅から線路が分かれる。ワシらは内陸の内子線を通っていく。

ここからトンネルが増える。長ーいのもあったよ。

線路沿いは菜の花。山また山の地域なんだな。

伊予大洲駅に到着。

木材をつかった跨線橋がいい。

女性の駅員さんが一人で切り盛りしてた。駅横の観光案内所でマップを貰うと「肱川沿いの堤防の上を通るのがお勧めですよ」と言われた。

とても穏やかで良い天気。あたたかい。静かな道を行く。

堤防の道をゆくと…見えた大洲城。「街道をゆく」の頃には無い四層の天守も見える。

素晴らしい眺めと空気感。振り向くと肱川をまたぐ鉄橋を電車が走っていくので、シャッターを切ろうとしたら… なんということ! カメラのバッテリーが切れた。予備バッテリーは持参してたのだが、何故か、この日に限ってホテルの部屋に置いてきてしまってた(;´Д`)アウ~

肱川の大橋を渡る時が、最後の一枚だったのだった*1…仕方ない。ここからはスマホで撮ることした。

まず大洲城を訪ねた。丘の上に真っ白な姿で建っていた。

ソメイヨシノはまだ開かない。

城を取り囲むサクラが咲いたら、それは夢のような景色だろうと思われた。

城からの坂道を下ると見える昭和の建物。これが「街道をゆく」で酷評された市民会館なのだろう。大洲市の市章の「〇」が描かれている。

大橋からの眺め。司馬サンが須田画伯に話しかけた時の風景は、こんな感じだったのかな…。

続く。

 

*1:+_+

伊予の旅(3)3月21日 午後…石手寺と市内電車

「飛鳥の湯」にのんびりと浸かった後…

四国遍路八十八箇所巡り第五十一番札所「石手寺」目指して、県道187号線を東に歩きだした。途中にあった気になる理髪店。その店構えだけでなく、裏が墓地というところが味わい深い。…どこか妖怪めいている(^^;)

約20分で石手寺山門前に到着。ハンサムな弘法大師像のほか、上座仏教的仏陀像や義民めいた謎の石像などが置かれ、カオスな雰囲気が漂う。立派な石畳の屋根付き通路には占い師のブースや、やきもちの店が出ていた。

やきもち買おう。たしか1個150円で販売は2個から…だったかな。

白餅とよもぎ餅のセットだった。悪くない。

イートイン的な椅子の横には狸の像。

父ちゃんが子供時代の大映映画「妖怪百物語」を思い出す(^^;)

山門にさげられた大きな「わらじ」に、びっしりと何かが挟まって光っている…。

一円玉だぁ。お遍路さんが、ささやかな来訪の足跡として挟んでいったものと想像された。その思いの呪術的な重さに、ちょっとした寒気が背中を走った。

石手寺は、重厚な三重塔がある立派なお寺。

本堂をお参りして御朱印をいただいた。にこやかな婆さんが袋に入れてくれた。

実家の宗旨は真言宗で、亡父の命日も近い。母のための御朱印もあわせ2通。

動物的脂っこさを持つ、不思議な石手寺訪問を終えて、道後温泉に戻ったのだった。

***

道後公園展望台に上り、今夜のお店「上半」に予約電話すると…。「開店から2時間以内」の条件付きでテーブル席の予約が取れた。ラッキー(^^)/

道後温泉駅から伊予鉄市内電車でJR松山駅前まで行く。

到着。

開店時間17時ジャストに入店。

まずはビール。それから「小鉢(小松菜と松山揚げの煮びだし)と刺身とじゃこ天の3点おつまみセット」。揚げたてじゃこ天は想定外の美味。刺身もプリプリで旨いぞな。小鉢は父ちゃんには甘すぎたけど。

お寿司(800円)は、これも新鮮ネタで美味であったわい。

母ちゃん&父ちゃんはそれぞれ、地酒三種おためしを注文。

アジの塩焼き

串6本

ポテトサラダ

最後に焼きおにぎり。料理も酒も旨かった。19時前に店を出た。

ホテルには歩いて帰ろう。路面電車のレールを目印に夜の街を行く。

月下の松山市役所

漱石が教えた松山中学校跡のビル前。中学教師時代の漱石の写真を、昨日「子規堂」で見たが甘いハンサム・フェイスだった。モテたろうな…と思った。男子校だろうけど。

ホテル前に戻ったよ。

部屋でサッカーW杯予選、日本VS北朝鮮を観て、早めに就寝しました。

続く。

伊予の旅(2)3月21日午前…松山城と道後温泉

2日目は道後温泉松山市内散歩の予定。

ホテルで朝食をすませて向かったのは…公益財団法人「常盤同郷会」

秋山兄弟生誕地。二人の生家のあった土地らしい。

開館時刻前で入れないけど、ここで十分。いい所です。

秋山好古の像。

秋山真之の像。

山東雲中学高等学校の入口。素晴らしい門。伝統ある学舎なのだろうなあ。

坂道を上がり、松山城へ登る。

石段の上の東雲神社を参詣。御朱印は正月三ケ日のみ。残念。

ロープウェイ、リフトもあるけど、歩くのだ。

見えてきた高い石垣と櫓。奥に天守松山城は格調高く立派なお城。

松山市街の向こうに瀬戸内海が見える。

平日ながら大勢の観光客。東アジア某国の言葉が四方から聞こえてくる。

2009年から放送された「坂の上の雲」の写真はここで撮影された。

同じ場所に座って(^^)/

松山市内に沢山設置されている投句箱がここにもあった。

前回入選作が掲示されてた。父ちゃんは15歳以下の部「すず虫や あたらしき夜 耳すます」(三瀬桜子さん)が好き。

帰りはリフトに乗る。

松山の味付けは、たしかに甘めだね。おいしいよ。次は道後温泉。歩いていくよ!

途中のお店で売ってた伊予柑が安いこと。買えばよかった。

少し道を間違えたが…

着いた!道後の温泉むすめは「道後泉海(どうご いずみ)ちゃん」

アーケードの飾りつけは華やか。

改修工事中の道後温泉本館。「霊の湯」には入れるが…

混んでて、1時間20分後の12時入館の整理券を渡された。

それまでの時間を過ごすつもりで高台の「空の散歩道」の足湯のある場所に行き、

昨夜の「いわもと」鯛めしのおにぎりを食べると…、新館の温泉でもいいじゃないか?っていう気になって、

「飛鳥の湯」にした。きれいなタイルが貼られた浴場は快適だった。澄んだ温泉だった。身体は温まり、喉は乾いた。

蜜柑ジュース飲み比べと蜜柑ビール。分けて飲んだ。うまかった~♪

午後の市内さんぽ。。。続く。

 

 

伊予の旅(1)3月20日

母ちゃんリクエストで、次の旅行先は「道後温泉」に決まっていたんで、「春分の日」の時期、三泊四日で愛媛県松山市を訪ねることにしたのだった。

3月20日(水・春分)、成田からジェットスターに乗った。

東京湾はよくみえたけど、天気は下り坂で、期待していた富士山は見えなかった。陽光溢れる瀬戸内海も…ね(ザンネン('_')

2時間弱の飛行で松山空港に到着。父ちゃん、実は四国に来たのは初めて。嬉しい。

ガチャで地元キャラの手ぬぐいゲット。欲しかった柄が出てまた嬉しい。しっかりした作りで、入浴時に重宝した。

表は肌寒い。今にも雨が降り出しそうな空模様。リムジンより安い、いよてつ路線バスで市内に向かう。

Suicaは使えないのだった。

約40分後に、伊予鉄道松山市駅で下車。途端に雨が降り始め、強風も。折り畳み傘が突風で壊れてしまったが、すぐ近くに大きなアーケード「銀天街」があって、助かる。

正岡子規が指し示す「松山城」方向に左折すると…

銀天街」は終わり、更に大きなアーケード「大街道」に入る。

祝日で大きな日の丸が下がってる。いいね。

ポケモンのマンホール蓋があった。アーケード出口にあるホテルに荷物を預けて、昼飯を食いに行く。近くの店に適当に入った。

まず、ビールは外せないのだった。ランチメニューから選んだのは…

母ちゃんは日替わりランチ(900円)。刺身がうまかった。

父ちゃんは松山風なべ焼きうどん(650円)。柔らか麺に甘い味付け。

テルチェックイン時間まで付近を散歩する。松山市駅近くの「子規堂」へ。ここは正岡家の墓がある正宗寺の境内にある。

入館料は50円。本のしおり風の入場券と、小説「坊ちゃん」で主人公が松山に来る時、三津浜から買った鉄道切符を模した物が貰えた。嬉しい。

館内は、松山中学時代の子規(正岡升)の勉強部屋を再現した一角や、子規、漱石、秋山兄弟の写真などが展示されていた。

質素だけど、気持ちの良い場所だった。

子規堂を出ると、天気回復して日が差してきた。明るい。

野球ユニフォーム姿の升さんと記念写真。

さて、ホテルに戻ろう。途中、なべ焼きうどんの有名店を発見したが…

どちらも定休日。松山のお店は水曜定休が多いみたい。

テルチェックイン。部屋からは松山城が見える。

眼下はメインストリート。伊予鉄路面電車が行く。いいね。

付近の三越を探検。立派な建物。

あたりは暗くなってきた。

18時開店にあわせて「いわもと」へ。

予約なしだったが、入れて良かった。

生ビールとお刺身。

湯豆腐と熱燗。

お次は冷で。

カウンター席の前に音声を消したテレビがあって、パドレスVSドジャースの開幕戦が見られた。TV音声は好きじゃないので、ちょうど良かった。

豆腐と長芋ベースのお好み焼き…

鯛カツ、しっかり揚げてある。

そして、鯛めしが出来上がった。

見よ。お米は2合。

可愛らしいお姉さんによそってもらった。美味。

2杯目は薬味と鯛だしをかけた「鯛茶漬け」チョー旨い。

食べきれない分、お姉さんがおにぎりにしてくれた。会計は2人で8,900円ほど。

さて。帰って風呂に入るだ。ホテルは温泉ではないが大浴場があって快適なのだった。

子規堂のある正宗寺をお参りしていただいた交通安全お守りを、リュックにつけた。

お休みなさい。続く。

 

 

 

 

 

 

映画と本、レコードと…アクシデント

週末は暖かだった。

コブシ咲く~♩ふるさと

いつも川沿いの道にいる山羊は、年取った。

少し前の、ジョージ・ハリスンのアルバム中の好きな曲についてのブロ友さんとのやり取りを思い出し…

第3面の「All Things Must Pass」を聴こうと袋から出したら…汚れ?…こりゃ~カビじゃ~にゃ~きゃ(;´Д`)

あらら。第6面にも。しばらく前にしっかり洗ったツモリだったんだが…。洗いなおすしかない。

それなら他のレコードも洗おうってんで…。

岡林信康「ザ・ワースト・オブ岡林信康」。岡林のベスト盤。実家にいた頃は「岡林信康の世界」というベスト盤をきいてたが、これは買いなおしたもの。時代を感じる左翼の歌。だけど、岡林の声はきれいだね。

ジョージの「All Things Must Pass」はビニールの内袋を新品と交換し、箱と紙袋にはドライヤーの温風を当てて黴菌をやっつけたのだった(気休めかも知れないが…)。

加藤和彦「あの頃、マリーローランサン」(1983年)とSting「The dream of the blue turtles」(1985年)。

…独身時代の思い出いっぱい。OLだった母ちゃんが住んでた井の頭公園近くの部屋で使うステレオセットを選んだ。それらの機器のほとんどは「断捨離」してしまったが、レコードプレーヤだけは、今でも和室の天袋に入っている。

LUXMAN PD-291(ピンぼけ)(^^;)は故障してる。他に、同じLUXMANのDCアンプL-11、スピーカーはテクニクスの平面ユニットを使ったブックシェルフ型SB-3。カセットデッキはシルバーのナカミチBX-1だった。扱い易くて見た目もシュッとした良いシステムだったなぁ。

***

借りて読んでる本は「英国王のスピーチ:王室を救った男の記録」

ジェフリー・ラッシュが演じた言語療法士:ライオネル・ローグの孫が、祖父が残した王との往復書簡や新聞スクラップを基に書き起こしたノン・フィクション。英国王ジョージ6世に施した治療とその成果のほか、映画で描かれなかった英国王の崩御、ライオネル自身の死まで書かれている。2012年岩波書店刊。

映画のクライマックス、対独開戦演説の原稿の写真。文字でみると、意外に短く感じる。映画ではベートーヴェン交響曲第7番第2楽章をBGMに、コリン・ファース演じる英国王ジョージ6世が感動的なスピーチを行うのだった。

この本は楽しく、かつ興味深く読んだ。自分でも欲しくなったけど、絶版で中古本の値段も高い(4,000円超え)。また読みたくなったら図書館で借りることにする。

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3月17日(日)晴れ…彼岸の入り

朝、お墓参りに行って戻ると…

大谷サンが韓国ソウルでのエキジビション試合に出場してた。韓国のヒト、大騒ぎ。

午後は、今年度つとめた地域の役員の引継ぎ会合。今年の区長さんがサバけた人だったおかげで、父ちゃんは楽できた…と思ってる。

帰宅して鹿島アントラーズVS川崎フロンターレの試合観戦。鹿島の逆転勝利。川崎戦勝利は9年ぶり?らしい。嬉しかったなぁ。知念さんは本当に立派な選手。新加入のチャブリッチも素晴らしい。

その後は相撲。大阪は雨なんだな。

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週末が明けた今日、朝から強風が吹いて、屋根が…毀れた。

午前10時過ぎ、母ちゃんからの連絡を受けて会社を早退した。

2階の屋根の「棟板金(むねばんきん)」という部分が外れて落下した。物干し場の屋根にあたって、屋根材のポリカーボネート板に穴があいた以外には、物的・人的被害がなかったのは不幸中の幸い。

火災保険会社の窓口と、地元の業者に連絡、明日、応急措置をしに来てくれることになって、ちょっと安心してるところ…デス。