どいの父ちゃんのブログ

素人オーディオと 亡き犬と サラリーマン残り火生活

さくら、さくら

暖かくなった。温んだ水の中を、メダカがぴゅんぴゅん泳ぐ。

朝、欅の洞の陽だまりにアマガエルがたむろしてる。

我家の前の田圃にも水がはられた。シュレーゲル・アオガエルのよく響く鳴き声が聞こえるが、その姿を、今年は未だ見られていない。

***

今週末が桜を眺める最後のチャンスか…と思われた。母を誘ってちょっと出かけた。

地元の「名所」と言われる公園は、すでに盛りを過ぎていた。

K小学校・中学校のある地区の桜は盛りの最後だった。

母はシルバーカーを押して桜吹雪を浴びて歩いた。

隣接する野球場で草野球チームが練習してた。…気持がいいだろうなぁ。

***

家に戻る前に、K川沿いの散歩道を歩いた。

年寄山羊のいるところ。うららかだねぇ。

***

借りてきた「別冊太陽」。ドナルド・キーンのこと。

キーン氏の著述から、エッセンスみたいな部分を抜き書きしてる頁。桜のことが書かれていて、まさに「そうだよね」と思った。この本、欲しくなっちゃった(;^ω^)

***

日曜日も散歩に出かけた。

あっちこっちで田植えの準備が進んでた。

ここは田植えが終わってる。本当に良い季節。

春はいいね

一見の映画(アニメ)と桜の週末

サクラ開花しココロざわつく。歳を重ねるたび、そのざわつきは強くなる…。

3月30日(土)に母と姉と一緒に出掛けた潮来長勝寺の桜は2~3分咲だった。

一週間後(4月6日)に来てみたら「8分咲」と見えた。…曇り空。

静かだった。山門前で、地元のオジサンと「桜、咲いたねぇ」などと言葉を交わした。

***

4月5日(金)

3月22日封切映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(前章)」が気になっていた。原作コミックスは読んだことなかったが、トレーラーが面白そうだったし、脚本は吉田玲子さんだし…。母ちゃんを誘ったが、断られた(;^ω^)。

前章は面白かった。5月24日公開の後章も観にいこう。

光学グッズは面白い。

***

少し前にアマゾン・プライム(無料配信)で見つけた「BLUE GIANT」。気になってた映画。週末、これは母ちゃんと一緒に観た。

宮城県から出てきた18歳のテナー吹きのお話し。面白く観た(宮城方言がちょっとアレ過ぎないか…?と、ちょっとだけ思ったけど)。

今週のレコード洗い。

出勤途上、ラジオでかかった「My Favorite Things」。帰宅後にターンテーブルに載せた音盤の音が濁ってて「洗い直そう」と思ってた。それからブックオフで買った甲斐よしひろ盤。

あとは「BLUE GIANT」の影響もあって、JAZZ音盤を選択。コルトレーン「GIANT STEPS」、マイルスの2枚組「Circle in the Round」。

あと、MJQ「Live at the Lighthouse」

***

週末最終日の4月7日(日)予報よりも天気は良くて暖かだった。

スーパーと図書館に出かけがてらの散歩。

時折さす日差しを浴びて、桜はどんどん開いていった。

***

4月8日(月)

霧の朝。誕生日の母ちゃんは同い年(63歳)になった。

庭の小さな照手白の花が開いた。

照手白の根本に去年地植えした「ミソハギ」の芽が生えて、嬉しい母ちゃんだった。

***

通勤路にある古い桜の樹。

満開を迎えたらしく、花びらを散らしていた。

四月になれば…

四国旅(初)は、楽しかった~

3月18日の強い北風で、屋根の一部(棟板金)が剥がれたことは既報ですが…、リフォーム会社の職人が旅行前日に応急措置を施してくれて、安心して出かけることができた。3月24日には施工者が工事見積算定のため来訪。見積書受け取り次第、保険申請することになっている。

加入してる火災保険(10年)は、一括払いで24万円弱。火災だけでなく、今回みたいな風害・水害にも対応してくれて免責設定はゼロなので、保険が効きさえすれば負担金額なしで補修ができる。ありがたいものである。

***

さて。もう一つある。

愛媛から戻って金魚の鉢に餌をまいた。留守中は「メシ抜き」だったから、奴ら喜ぶゾ…と思っていたのだが…

二匹の金魚(「バ」と「カ」)は、薄緑いろに濁って底までは見通せない金魚鉢から姿を現さなかった。…「まさか」と思い、棒で水を搔きまわしても…。

「これは、鳥にやられたか。白鷺かアオサギが水辺にきて、バカな金魚たちは餌をもらえると勘違いして水面に上がったところを捕えられたか」と思った。…バカだけど、長い間一緒に暮らした金魚が突然居なくなって、父ちゃんはショックだった。

***

金魚鉢の水を入れ替えて、

3月30日(土)、新しく2匹の金魚を買ってきた。

地元の陶器店が金魚も商っていて、ホームセンターのペットショップなどより値段は高いが、丈夫な金魚なのだった。

どっちも「和金」。見分けがつくように色が違うのを選んだ。名前は、まだない。

この「新入り」を鉢に移すときに見つけたもの。金魚鉢の縁ちかく、小さな鱗と泥が飛び散っていた。父ちゃんは最初、金魚は鳥に攫われたと思ったが、この様子だと近所の猫の仕業と思われた。

***

冬眠から目覚めたカエルたちの声が、田んぼから聞こえるようになった。

3月26日(火)には予約していたブルーレイが届いた。

ガールズ&パンツァー最終章第4話」。モチロン劇場で観たが、円盤も手元に置いときたいし…。まぁ、いいでしょう?

特典映像OVAの「タイチョー・ウォー」は、「無限軌道杯」出場各校の隊長が集まり、戦車道の更なる普及を図る対策会議の場であったが…。映画本編に比べて作画がかなり粗い気がした。本編は非常によく描かれているから文句はないのだが、全般的に最終章のOVAは、オリジナルTV放映時の円盤の特典OVAに比べて質が低い気がする。

(予約中の円盤はまだあるんです。届いたら、また書かせてね♡)

***

3月最終週は、我家に母と姉が泊まりにきていた。

大洗方面に観桜ドライブに出かけたが、桜の開花は遅れていた。

でも、まぁ楽しく過ごしてくれたと思う。もてなしてくれた母ちゃんに感謝してる。

姉を迎えにきた甥っ子から貰ったもの。東京駅で買ってきたんだって。

中身はコーヒー味のパン。モッタイナクテ開封できん。甥っ子曰く「『ゴジラ(1954)』と『モスラ対ゴジラ』は売り切れてて、これにした」…うん、ナイス選択だ。感謝。

***

四月になりました。

ずいぶん前に中古レコード屋で100円で買った2枚組BOX盤。ちょいとアヤシイデザインだけど…

A面5曲目の「四月になれば彼女は(April Come She Will)」が聴きたくて買った。

小学生の時、高校生の姉に連れられて銚子市の映画館で観た「卒業」の中の曲。当時、これが一番印象に残った。

その後長く気が付かなかったが、その歌詞はしっかり韻を踏んでて、とても・とてもいい。英語っていいな、と感じる。この曲はなぜかCDのベスト盤には入らなくて、余計に聴きたくなっていたんだった。

***

冬の間、室内で避寒させてたホテイアオイ

満を持して金魚鉢に戻した。

伊予の旅(6)3月23日 最終日

旅の4日目(最終日)は雨になった。↑は夜明け前の外の景色。

天気がよければ行きたい場所はあったが…、ホテルチェックアウト後、アーケード屋根下を散歩した。

ちょっと寂しい景色も、またオツ。

フリーマーケットの日?午前10時ごろから沢山のお店が開いて賑わった。ポストカードを買いました。

そろそろ空港に向かう。三越前の停留所から出るいよてつバスの到着を待つ。

すいてた。整理券をとって、運賃630円/人を用意。

小雨が続く。愛媛はよいところだった。名残惜しい。

この古い型の路面電車にも乗っておきたかったなぁ。

空港着。ここは展望デッキ。

愛媛最後の食事は空港レストランで宇和島風鯛めし。ごはんのおひつはお代わり自由。

それと郷土料理の「ふくめん」。醤油で煮た糸こんにゃくの上に、魚すり身のでんぶが載せてある。これをよくかき混ぜて…

食す。お祝いの席で出す料理らしい。甘くて、ひなあられ的な祝祭の雰囲気のある食べ物でした…。あと、瓶ビール中瓶も1本飲んだ。

飛行機搭乗までの時間を過ごしたのは、和カフェ「NOBOSAN」

父ちゃんはまたしてもビール。母ちゃんは抹茶クリームあんみつを食べた。正岡子規だけじゃなく、伊丹十三松山ゆかりの偉人だよね。高校時代から尊敬してた。

ドナルド・キーン氏のこの本、日本語版もあるかな?あるよね、きっと。

ビールのコースター(紙製)、持ち帰った。

大相撲三月場所14日目見ながら、案内を待ち

乗りこんだ。帰りも曇ってて、富士山は見えませんでした…残念。天候のせいで出発が少し遅れたけど、無事に成田に戻ってきましたよ。

あ。松山市大街道アーケードのフリマで買ったポストカードは、こういうのです。

***

次はどこに行こうかなぁ。

伊予の旅(5)3月22日 大洲の町と伊予灘線

大洲散歩、続く

坂を下りたら空腹ハラペコ。昼食は「油屋」に行くと(未予約ながら)決めていた。

昭和の繁栄を偲ばせる商店街を通りぬけ、突き当たりを肘川堤防方向に左折すると、

右側に煉瓦造りの建物があり、その向かいが「油屋」だ。

この土蔵が店舗になっていた。真新しいアスファルト舗装の駐車場に、かつて旅館時代の母屋があって、今は取り壊されたのか?…と推測された。そうだとしたら残念な気がした。(司馬さんが驚喜した建物を見たかったから…)

11:30の開店時間を待って入店、炉端焼のカウンター席に通された。

少し遅れて、大きな声の添乗員に率いられた韓国語を話す一団(総勢13名)が入ってきて、中庭沿いの3つのテーブル席に座った。

正直に書くと父ちゃんは、彼らが食事の間中、大きな声をあげるのではないか…と危惧したが、静かに会食してくれてホッとした。(偏見でしょうか)

まずはビール中ジョッキ。喉が渇いていた。「悪魔的」旨さだった。

母ちゃんが頼んだ1日10食限定の「油屋弁当」のメインは豚肉生姜焼き

父ちゃんは「名代とんくりまぶし」

おひつ飯の上に、栗と豚肉甘辛煮がのる。このままよそって食べるのと、出汁をかけてお茶漬けにするのと…の二種類の食べ方。

弁当もとんくりも、どちらも甘い味付けだった。「甘くてやさしいのが松山の味じゃけん」(…ここは大洲市だけど…ね。)テーブル席の方々のメニューも、この「とんくりまぶし」みたいだったが…。甘い味が口にあったかどうか、ちょいと心配になった。

油屋を出て、美しく整備された川沿いの道を通って…

臥龍山荘」を訪ねた。ここは大洲藩歴代藩主の別荘だったそう。風流で浮世ばなれ(生活感無し…の意)してた。

肱川に面した高台の「不老庵」からの眺め。面白かった。

水の色、まさに「碧潭」。

臥龍山荘を出ると、石畳に緑陰。いいね。

大洲神社をお参りして…再び、町へ。

昔、母親が観てたNHK朝の連ドラ「おはなはん」のロケ場所「おはなはん通り」

休憩所に「おはなはん」の写真。樫山文江と高橋幸治…こんな感じだったなぁ。父ちゃんは6歳だったが、かすかに記憶がある。

町の医療地区だった…と思われる一角。産婦人科の建物を改装した観光案内所。大洲の町を歩いて、昔の小さいながらも高い格調の豊かな文化的生活を感じた。

…そろそろ帰ろう。(瀬戸内海に夕日が沈む頃合いを予定してたが一本早める)

商店街に美味しそうな和菓子「志ぐれ」の店があったので、小さいのを一つ買って駅に戻った。

3番線に停車してた車両内部。ガラスが曇っててソフト・フォーカスになった。

復路は瀬戸内海沿いを走る「伊予灘線」に乗る。列車を待つ間、ベンチで「志ぐれ」を食べた。

甘さ控えめの美味しいウイロウだった。

やがて到着した一両編成車両に、けっこう沢山の人と一緒に乗った。東アジア某国の方も多かった。この路線は海の間際にホームがある(ように見えるフォトジェニックな)下灘駅を通過するので、鉄趣味の人や観光客が多いのだった。

灘駅の手前「串」駅を出たところから、スマホで動画を撮った。

伊予灘線 串-下灘駅間 - YouTube

灘駅に到着すると、100名超の観光客がカメラやスマホを構えて待っていた。上のサイトの写真のような状況ではなかった…。予定どおりの日没タイムにここを通ったら、それこそ大変な混雑ぶりだったのではないか…。この時間帯で良かったと思った。

明るいうちに松山に帰ってきた。ホテルまで、歩いて帰ろう。

途中にあった中古レコードCD店。面白そうなレコードが多数あったけど、持ち帰りしにくいので買わなかった。

古い県庁の建物に西日が差していた。

***

この日はデパ地下で惣菜を買い、コンビニでビールとワインを買って部屋飲みした。あ。あと、カメラのバッテリーも交換しましたよ(;^ω^)

明日は伊予の旅の最終日。おやすみなさい。

続く。

 

伊予の旅(4)3月22日 JR内子線と大洲城

ところで…

今回、行先は母ちゃんの希望で決めたんだけどね…。松山ならばと…父ちゃんも行きたい場所があった。(たくさんあるけど『ここだけは』っていう場所)

それは松山からJRで1時間程の「大洲市」。司馬遼太郎のライフワークだった「街道をゆく」の第14巻は「南伊予・西土佐の道」で、この巻が週刊朝日に掲載されたのは1978年の9月から12月にかけてのことなのだが…。

街道をゆく」はどの巻も味わい深いけれども、四国、とくに伊予国愛媛県)は司馬さんの「愛情」が格別に深い土地のように、父ちゃんには感じられる。この巻の冒頭は、正岡子規の舎弟ともいえる高浜虚子の「子規居士と余」という本の引用で始まるのだが、司馬さんの心からの愛が伝わってくるのです。…長くなるが、もう少し。

今から45年前の松山空港に降り立った一行が、タクシーを駆って内陸の砥部から大洲に入る際、司馬は、同行する画家の須田剋太に大洲の美しさを伝え、誇ろうとするが…。以下、「街道をゆく」14巻の56頁以降引用

 大洲の町は、肱川(ひじがわ)の白っぽい河原に発達した。

 まわりが山で、河原にも島のように小山を残し、かつては赤松の濃いみどりが川の瀬々に滴るようであったらしい。川はこのあたりになって大きな淵をつくり、その美しさは碧潭(へきたん)としか言いようがなく、その松と碧潭のなかに童話の中のお城のような大洲城の櫓の白壁が映えていた。

 私が昭和三十年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき、水と山と城が造りあげた景観の美しさに息を忘れる思いがした。

『愛媛面影』に、

 比志川(註・肱川)の流れを引きて、城郭の遠望、殊にめでたし。

とあるが、私も日本の旧城下町でこれほど美しい一角を持った土地はないと思ったりした。

「大洲はいいですよ」

と、道中、須田画伯に宣伝したりしたが、こんどの旅で私自身の楽しみにもなっていた。大洲はかつて三度通過したが、一度も泊まったことがなく、あの刺繡画のような景色を時間をかけてながめてみたかったのである。

 かつて大洲藩支藩の陣屋のあった新谷をへて大洲に近づいた。まだ午後七時前で、暮れるには間があった。町へは北からはいった。

 肱川の大橋を渡るときに、須田画伯に、

「右手を」

 川下をご覧あれ、といってみたのだが、言いつつ元気が失せた。碧い淵と磧(かわら)に面していた白壁の可愛い櫓の横に、およそまわりの自然とは不調和なコンクリートの会館のような建物ができていたのである。

「あのコンクリートの建物ですか」

 右を向いた画伯が、すぐ興をうしなったように首を前に戻した。そのうち車が橋をわたりきってしまった。

「以前、あのコンクリートの新建造物がなかったんです」

弁解すると、画伯はなぐさめるように、

「どこでもそうです。日本中、気が狂っているんです」

といった。

 あとで、宿についてからきいてみると、その新建造物は二軒あって、一軒は昭和四十三年にできた市立市民会館であり、一軒は同四十九年完成の市立中央公民館であるという。

以下、日本の多くの地域の歴史や自然美を蹂躙する行政を攻撃し、かつ嘆く文章が続く。この後、司馬遼太郎は、担当者が予約していた宿(油屋)が江戸・明治時代のままの佇まいであることを喜び、大洲市行政を強い言葉で貶したことを埋めあわせるかのように、この宿屋を無邪気な程に褒め称えるのだった。

…そういう訳で、肱川沿いの大洲城と街並み、そして今は宿屋を廃業して食堂になっている「油屋」を、この目で見てみたかったのです。

たいへん前置が長くなったけど、伊予の旅の第3日目のこと…。

***

3月22日(金)は晴れた。

朝はホテル食堂の窓際席で鯛めしを食べた。

「大街道」駅プラットホームから路面電車。JR松山駅に着いた。

駅前にある句碑「春や昔 十五万石の 城下かな  子規」…

駅前タクシー乗場に、ひともとのソメイヨシノ(と思う)。ここだけが咲いていた。

構内の駅そば。うーん。ここでも食べたかったなぁ(^^;)

Suicaが使えないので券売機で切符を購入。往路は内陸の内子経由で伊予大洲を目指す。

みどりの窓口がイイ感じだった。

改札を抜けると、一番線から観光列車「伊予灘ものがたり」が出発するところだった。

ワシらは跨線橋を渡って、普通の一両編成ワンマン車両で行くのぢゃ(^^)/ソノホウガ イイモンネ

運転席。丸眼鏡の若い運転手さんがしっかり指差呼称しながら運転してた。乗客は常に十数名いた。運転席以外の窓ガラスは汚れてて、景色がクリアに見えなかった。

松山の隣駅「市坪」のホームから見えたのは「坊ちゃんスタジアム」かな?

「呑み鉄」もしたいので…。ペットボトルに赤ワインを仕込んできたのだった(^0^)

向井原駅から線路が分かれる。ワシらは内陸の内子線を通っていく。

ここからトンネルが増える。長ーいのもあったよ。

線路沿いは菜の花。山また山の地域なんだな。

伊予大洲駅に到着。

木材をつかった跨線橋がいい。

女性の駅員さんが一人で切り盛りしてた。駅横の観光案内所でマップを貰うと「肱川沿いの堤防の上を通るのがお勧めですよ」と言われた。

とても穏やかで良い天気。あたたかい。静かな道を行く。

堤防の道をゆくと…見えた大洲城。「街道をゆく」の頃には無い四層の天守も見える。

素晴らしい眺めと空気感。振り向くと肱川をまたぐ鉄橋を電車が走っていくので、シャッターを切ろうとしたら… なんということ! カメラのバッテリーが切れた。予備バッテリーは持参してたのだが、何故か、この日に限ってホテルの部屋に置いてきてしまってた(;´Д`)アウ~

肱川の大橋を渡る時が、最後の一枚だったのだった*1…仕方ない。ここからはスマホで撮ることした。

まず大洲城を訪ねた。丘の上に真っ白な姿で建っていた。

ソメイヨシノはまだ開かない。

城を取り囲むサクラが咲いたら、それは夢のような景色だろうと思われた。

城からの坂道を下ると見える昭和の建物。これが「街道をゆく」で酷評された市民会館なのだろう。大洲市の市章の「〇」が描かれている。

大橋からの眺め。司馬サンが須田画伯に話しかけた時の風景は、こんな感じだったのかな…。

続く。

 

*1:+_+

伊予の旅(3)3月21日 午後…石手寺と市内電車

「飛鳥の湯」にのんびりと浸かった後…

四国遍路八十八箇所巡り第五十一番札所「石手寺」目指して、県道187号線を東に歩きだした。途中にあった気になる理髪店。その店構えだけでなく、裏が墓地というところが味わい深い。…どこか妖怪めいている(^^;)

約20分で石手寺山門前に到着。ハンサムな弘法大師像のほか、上座仏教的仏陀像や義民めいた謎の石像などが置かれ、カオスな雰囲気が漂う。立派な石畳の屋根付き通路には占い師のブースや、やきもちの店が出ていた。

やきもち買おう。たしか1個150円で販売は2個から…だったかな。

白餅とよもぎ餅のセットだった。悪くない。

イートイン的な椅子の横には狸の像。

父ちゃんが子供時代の大映映画「妖怪百物語」を思い出す(^^;)

山門にさげられた大きな「わらじ」に、びっしりと何かが挟まって光っている…。

一円玉だぁ。お遍路さんが、ささやかな来訪の足跡として挟んでいったものと想像された。その思いの呪術的な重さに、ちょっとした寒気が背中を走った。

石手寺は、重厚な三重塔がある立派なお寺。

本堂をお参りして御朱印をいただいた。にこやかな婆さんが袋に入れてくれた。

実家の宗旨は真言宗で、亡父の命日も近い。母のための御朱印もあわせ2通。

動物的脂っこさを持つ、不思議な石手寺訪問を終えて、道後温泉に戻ったのだった。

***

道後公園展望台に上り、今夜のお店「上半」に予約電話すると…。「開店から2時間以内」の条件付きでテーブル席の予約が取れた。ラッキー(^^)/

道後温泉駅から伊予鉄市内電車でJR松山駅前まで行く。

到着。

開店時間17時ジャストに入店。

まずはビール。それから「小鉢(小松菜と松山揚げの煮びだし)と刺身とじゃこ天の3点おつまみセット」。揚げたてじゃこ天は想定外の美味。刺身もプリプリで旨いぞな。小鉢は父ちゃんには甘すぎたけど。

お寿司(800円)は、これも新鮮ネタで美味であったわい。

母ちゃん&父ちゃんはそれぞれ、地酒三種おためしを注文。

アジの塩焼き

串6本

ポテトサラダ

最後に焼きおにぎり。料理も酒も旨かった。19時前に店を出た。

ホテルには歩いて帰ろう。路面電車のレールを目印に夜の街を行く。

月下の松山市役所

漱石が教えた松山中学校跡のビル前。中学教師時代の漱石の写真を、昨日「子規堂」で見たが甘いハンサム・フェイスだった。モテたろうな…と思った。男子校だろうけど。

ホテル前に戻ったよ。

部屋でサッカーW杯予選、日本VS北朝鮮を観て、早めに就寝しました。

続く。